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結婚の歴史
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おばあさんの時代、もっと昔の結婚
結婚の歴史
瀬川清子(民俗学研究家)
若い方にお会いすると、こんなことをお尋ねしたくなります。\"結婚なさるんですか、お嫁入りなさるんですか\"と。\"嫁入りではありません。結婚します\"\"私の時代には、嫁入りと結婚は同じものだと思っていました\"\"私たちのは、嫁入りという気持の結婚ではありません。夫と妻と平等でない結婚生活なんて不幸ですもの。男の人だって、嫁入りさせようとは考えていません\"と、現代の進歩的な若い男性の良識まで保証してくださる。もちろん、都会でのことですが、嫁入り式の結婚から脱却した、みずみずしい若木のような娘さんたちの出現が、好ましく眺められます。おばあさんは、嫁入りという結婚をしたそうな、と不思議がる女の子も、そこいらにいることだろう、と苦笑しながらです。
おばあさんの時代-嫁入り-
ところで、そういうおばあさんやおかあさんの嫁入りという結婚は、どんなものだったでしょうか。江戸時代の女大学は、嫁入りナる女の心得を教えたものですが、この時代は、原則として、夫の家に嫁入りする結婚で、夫の姓になり、しゅうと、しゅうとめ、つまり夫の両親に仕え、夫の家系を継ぎ、夫の祖先の祭祀をする、というふうな結婚生活でした。女は、生家との関係を一応断ち切った覚悟で嫁入りするのでありました。いつの時代にも愛妻家があり、恐妻家もいるのですけれども、このような原則が社会の通念になっているところでは、妻は、主人とよんで仕える夫やしゅうとめの前に、忍従しなければうまくゆかないことがたくさんありました。
女大学の徹底
明治時代になると、この嫁入り婚が法律化され、それに準じた女子教育の力も加わって、とてもよく徹底したので、結婚とは、嫁入りすることだと思って疑いませんでした。農村のおかあさんの集まりでも、私は、このことにふれてみます。\"今に娘たちが、結婚はするけれども、嫁入りするのではない、と言いだすようにもなりましょうが、嫁入り生活の不幸をじゅうぶんに体験した私たちは、そういう明るい結婚生活を実現させてやりたいと思いますが\"と言うと、娘をもっているおかあさんは、一瞬セキを切った水のように、賛成なさいます。しかし息子の嫁を物色中のおかあさんは、\"そんな嫁ばかりになったら大変だ\"と、難色を示します。
産業と家族制度
農家は、家についた田畑を家族みんなの労働力で耕作し、その収入で生活するのですから、嫁入り式の婚姻を必要とする家族制度がまだ残っています。武家はもとよりのこと、商人も職人も、家業といって、家が職場だった時代には、農家とほぼ似たような暮らし方でありましたが、明治以後は、産業が急速に社会化して、大きな会社や工場になったので、個人単位の勤め人が多くなりました。その結果、家の外の職場に働いていた都会の娘たちが、割合に早く「家」というものから解放されて 昔ふうな家そのものも崩壊したのですが 家がらよりも人物本位で夫をきめたり、嫁入りではない結婚をしよう、と思うようになったのであります。
もっと昔の結婚-つまどい-
それでは、神代の昔から、二〇世紀も半ば過ぎた今日まで、ずっとつづいて嫁入り式の結婚だったのでしょうか。歴史は流れる川のようなもので、人間社会の生活の事情は、刻々に変化し、発展しています。その中での結婚生活ですから、社会のしくみの変化にともなって、その形を変えなければなりませんでした\"奈良朝時代の「万葉集」には、つまどいの歌がたくさんあります『平安朝時代の「源氏物語」や「蜻蛉日記」には、\"つまどい\"ということがふんだんに出てくるので、私どもは、昔の婚姻はづまどいだったらしい、と感じております。が、それは、恋愛のようすをばく然と想像しただけのことで、その後、二人の結婚生活は、やはり妻が嫁入りしたのであろうか、あるいは、夫がむこ入りしたのであろうか、子どもは、どこで育ったのであろうかということについては、突きつめて理解したわけではありませんでした。それに、文献には、庶民のことはほとんど記されていませんので、権力があり富がある人のああした生活ぶりは、貴族の豪華版にすぎないもので、庶民の結婚生活とは、何の関係もなかったのではないか、という疑問もあったのです。文献の研究によると、そのころには、つまどいだけの婚姻もあったそうで、その場合には、夫も妻も、めいめいが生まれた「族」の中で生活した、ということであります。
藤原道長の結婚
また、夫と妻が同居している平安朝時代の婚姻の例を見ても、女家へのつまどいから始まり、結婚の儀式も、夫が妻方にむこ入りー現代の養子むこ入りとは違うものーという形で行なわれ、やがて夫婦が同居して家庭をもっても、夫が妻方に住みつく、というふうであった、といいます。専横をきわめたことで有名な藤原道長も、妻の源倫子の第宅に住みつき、その屋敷は、後に娘に譲られた、ということであります。\"この世をば、わが世とぞ思う:と歌い、この世にままならぬことはないといった太政大臣藤原道長が、妻方にむこ入りしたのかと驚くのですが、家系は男系をたどり、政治は男子の手でとり行なわれても、婚姻様式は、まだ前代の古風なつまどい婚にひきつづいたむこ入り式のものだった、ということです。結婚は性の問題ですが、それと生活経済の問題がからみ合います。手足で働く家業で生活した明治以前と、器械文化時代の勤め入の多い今日とでは、一口に家といっても、家族といっても、内容がひどく違うのですから、まして、一〇〇〇年前のつまどいに始まるむこ入り式の婚姻が行なわれたころの社会機構は、想像することもむずかしいほど、今とは違ったものだったのです。
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