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結婚の歴史
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昔と今の間
昔と今の間-子を連れて嫁入りするなど-
むこ入り式の婚姻から、今日見るような嫁入り式の婚姻になるまでには、生活の事情も変遷を重ねてきたのです。しかも、先にもいったように、都会では、夫と妻と平等の立場に立った結婚でなくてはいやだという娘が多くなっているときに、いなかではまだ嫁入りがあり、不自由な嫁の生活がある、というふうに、同じ年代でも、都会といなかでは、歴史の進み方、変化の速度の違いがあります。ことに交通の不便な離島や山間の村には、五〇〇~六〇〇年も前の生活様式や物の考え方を残していることが少なくありません。時代の先端を進んでいるはずの都会にも、古いしきたりに従っている人がたくさんあるのですから、××時代はむこ入り婚で、××時代から嫁入り婚になったなどと、年代の区切りをつけて、横に切って断言するわけにはいかないのが実情です。婚姻の歴史は、ちょうど地図の等高線のようにややこしいのです。ところが、おもしろいことには、こうした歴史の進み方のズレを表わしている、各地の婚姻習俗を比較し整理する民俗研究の側から見ても、嫁入り式の結婚の前は、むこ入り式の結婚だったらしいということが、ほぼ明らかになってきました。それは、つまり、むこ入り婚から嫁入り婚に変化した過程であろうと思われるいろいろな習俗が、氷河の跡のようにはっきりと認められるからであります。たとえば、次にご紹介するような結婚のしかたが、それなのです。
子どもつれで
結婚した妻が、当分の間ー子どもが一人二人できるまでもー里方にいて、数年後に子どもづれで夫の家に引移りをする風が、あちらこちらの村にあります。結局は、夫の家に入り込むので、嫁入り婚の類型の一つになっていますが、結婚の初期数年間は、里方にいて、つまどいを受ける、一時的招婿婚とでもいいたいものです。なぜそうするか、というと、伊豆の大島などでは、しゅうとめから世帯を渡されるまでの待機の期間を実家にいることにしていたようですが、女の働きの強い海女の村では、結婚後も二、三年は、生家の手伝いをするのだといっております。鹿児島県の南の奄美の島々では、嫁入り道具の支度ができるまでは、二年でも三年でも、実家にいるのだといっています。いずれにしても、むこ入り式の婚姻から、嫁入り式の婚姻に変わる過程であろうと、考えられます。
荷物はあとで
これにつづく例は、当人は嫁入りしても、嫁の荷物は里方にとどめて、一〇年も二〇年も世帯を譲られて主婦になるまでは持って来ないという嫁さんで、こんな例は、西日本のあちらこちらに残っているということです。必要なときには、里に行って着替えをしてくる~明治以前はほとんど村内婚でしたから、それでもまにあったのでしょう。
せんたくに帰る
また、東日本には、\"せんたくに帰る\"といって、一年に二度も三度も、子を連れた嫁が実家へ帰って、自分と子どもの着物を作ってくるという、村の制度のようなものがありました。これも、古い時代の嫁が里方にいたなごりでありましょう。今でも農村では、嫁はたびたび実家からこづかいをもらわなければならなかったり、嫁の使う分は、せんたく石けんまで実家にもらいにゆく、という例が、婦人大会などに持ち出されますが、そういう前代のしきたりが、無意識の間に、しゅうとめさんの心に作用しているのでありましょう。初子の出産は里に帰ってするという習俗ならば、都会にも行なわれていますが、裏日本地方には、たとえ産院で産んでも、その経費は嫁の里で出すはずのものだと、割り切った考えを実行しているところもあるほどです。それもこれも、昔、女性が生家にいて、むこを迎えたむこ入り式の婚姻だったことの遺習であろう、と考えられております。
むこ入りの儀式
嫁入りの儀式の前に、むこ入りの儀式をするということも、広く全国的に行なわれていました。初むこ入り、朝むこ入り、むこ見参などといって、嫁入りの日の午前中に、むこが嫁の里方にやって来る儀式があります。\"むこの食い逃げ\"といって、酒宴のもてなしを受けている最中に、あいさっもしないで逃げ帰る地方もあって、それはつまどいの所作を示すものであろうと解釈されています。この朝むこ入りがだんだん遅れて、今では三日目の嫁の里帰りについて行って、嫁の両親に見参するむこさんが多くなりました。しかし、嫁入りさせるようになっても、始めにむこ入りの儀式をしなくてはならないところに味があります。むこ入り式から嫁入り式の婚姻に変わるにしても、一挙に変えるというわけにはいかなかった、たどたどしい足跡のようなものがたくさん残っているのであります。婚姻史の研究はまだまだ途中でありますが、こんなふうに、むこ入り式から嫁入り式に移ったのであろうということが、一般に認められるようになりました。
新しい歴史の階段へ
現代の若い人たちが、嫁入りでない結婚をしようとしているのは、嫁入り婚にももう最後がきたことを意味するものであって、より新しい婚姻史の段階への発展であると思います。
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